世界的観光地・ニセコを支える「住民自治」の仕組み

北海道・ニセコ町役場を視察で訪れました。
パウダースノーのスキーなど、昨今、世界的な国際観光地として知られるようになりましたが、日本で初めて自治基本条例、『ニセコ町まちづくり基本条例』(2001年)を制定した地でもあります。その根底にある考えは、「町民が自ら考え、行動するためには、まず情報が必要」ということです。
条例では、住民に対する「情報共有」と「住民参加」を車の両輪として位置付け、情報公開 → 住民が理解する → 意見を持つ → 参加する → 自分たちで地域を動かす、という自治の仕組みを構築してきています。こうした取り組みは、1994年に35歳で町長に初当選し逢坂誠二町長よるもので、ニセコ町において「住民が主役となるまちづくり」という理念を掲げるだけでなく、それを情報共有、行政の説明責任、予算の透明化、住民参加、子どもの参加など、具体的な制度や仕組みにまで落とし込んでいます。前出の基本条例は、行政が一方的にまちづくりを進めるのではなく、町民が必要な情報を共有し、自ら考え、意思決定に参加し、行政とともに地域をつくっていくという考え方を制度として示したものであり、その後も、予算を町民に分かりやすく伝える「もっと知りたい今年の仕事」(1995年から全世帯へ配布)や、まちづくり町民講座・まちづくり懇談会、子どもたちがまちづくりについて考え、意見を表明する機会など、自治を実際の行政運営の中で機能させるための仕組みを整えています。こうしたハード面(施設やインフラ整備など)ではなくソフト面(人づくり)の取り組みは、単なる行政改革にとどまらず、町民自身が地域の課題を知り、考え、対話し、行動するという「自治の文化」を育てることにつながっており、今日のニセコ町が観光や環境だけでなく、住民自治や情報公開、持続可能な地域づくりの先進自治体として全国から注目されるようになった基盤を築いたことは逢坂町長の重要な功績の一つといえるでしょう。

歴史的には、ニセコ町は明治期の開拓から始まった農業地域です。1895年に西富への入植が始まり、1901年に真狩村から分村して「狩太村」となりました。1964年に「ニセコ町」へ改称しています。そして、「相互扶助」の思想のもと、小説家・有島武郎が1922年(自死の前年)に、現在のニセコ町で農場を小作人に開放する「農場開放宣言」を行っていますが、自然・農業・相互扶助・土地と暮らしという歴史的な文脈もまちづくりの根底には息づいていそうです。

お話を聞かせていただいた町役場の担当の方からは、メディアが取り上げないようなリアルなお話も聞かせていただきました。あらためてニセコ町は、観光地として成功した町というより、「時代の変化とともに立ち現れる地域課題に向き合いながら、『情報を共有し、人が参加し、地域を自分たちでつくる』という自治の仕組みを更新し続けている町」という印象を持ちました。
ニセコ町外からの移住者や観光客、外国人、投資家など、土台となる住民やステークホルダーの属性自体が変わっていく中、この先どのようにまちづくりが展開していくのか楽しみですね。

